ホテルのプールサイドで楽しむハロハロ。紫色のウベアイスクリーム、カラフルなゼリー、白い寒天、様々な果物トッピングが金属製のボウルに盛られている。背景にはぼやけた夜のプールエリアと照明が見える。

マニラへの旅 其の弐 – WCA2025 Day1


Read In English

さてマニラ二日目からの話をしなくては。そう、今日から本番のWCA2025なのだ。が。

心の中はざわつきでいっぱいだ。どちらかというと、ああ、来てしまったなあ、という感覚である。前日の最高に美味しいご飯もファンシーなホテルのふかふかのベッドも、そんな後ろめたいような気持ちには全く効いていないようだった。朝食会場に赴くと、当然にコアコミッターの中の中の人みたいな方もいらっしゃったりして。WCUS2023の頃の私ならば、あんなことがなければ、きっと浮かれてTシャツにサインでも貰ってたかもしれないが、やはりもうどうにもそんな気持ちにもなれない。

ただ、ホテルの朝食も大変美味しく、フィリピンのローカル料理も取り揃えてあって毎日楽しかった。写真に取りそこねたのだが、そこで提供されていたピンク色のお酢のソースが本当に気に入ったので何だったのかを知りたい。家で作れないかなあ。

多分この辺だと思うのだが。レシピを見付けたい。

ダトゥプティ スパイスド ビネガー スモール 350ml 【DATU PUTI】 – フィリピン食品・食材の通販 <赤羽物産> フィリピンフーズhttps://philippinefoods.co.jp/product/datu-puti-spiced-vinegar-350ml/

それと、きゅうりとヨーグルトのソース(レシピがトルコのジャジュックなのか、ギリシャのザジキなのか、それともオリジナルなのかは不明)もあってそれもトルコで知って以来大好きなので、その2つのソースを見付けられただけでも気分の上がる朝ご飯だった。それに、カラマンシー(Calamansi)というローカルの柑橘類の香りが大好きで、山盛りになっているのを見るだけで元気が出た。

さらに、台湾の豆花のようなTahoや肉まんなどもあってフィリピンと台湾との近さも感じられた。あゝ、台湾。素晴らしかった台湾の旅ブログ、ちゃんと書けてなかったなあ。

いざ、会場へ

台湾で出会えた、約1年ぶりに会えるだろう人たちの顔を思い浮かべると楽しみでもありながら、どんな顔をして何をしたらいいのか分からないざわざわした気持ちのままコントリ会場までタクシーで向かう。道すがら目にするのは公園のような場所でバイクの上に寝ている人たち。芸術的なまでに密集したバラック街。先刻までの流麗なホテルの様子とは打って変わって、貧富の差がくっきりと露出している町並み。私が小さい心を揺らした処でどうにもならない事実なのだが、いつか揺れなくなるのも嫌で精一杯目を凝らす。違う種類のざわつきがまた増えていく。

流線型の美しいコンラッドとは対象的に、コンクリートでできたがっしりとした直線が印象的なPICCは、天井が低いけれど硬質感があって古めかしかったけれど、内装のアートも面白く、これはこれで良いと思った。そういえばコンラッドには朝食会場にホテルのアートブックがあってチラ見したのだがなかなか面白かったのでもう一回ゆっくり観たいものだ。

入口には当然、友人曰く”セキュリティ・シアター” — 実際に、セキュリティチェックになっているのかどうか分からないけれどまあ一定の効果はあるのかな、でもそれ全然チェックしてないよね?と疑りたくなるようなふんわりしたゲートチェック、があって通るたびにニヤニヤしてしまっていた。USでも経験したものなのだが、USのゲートの人たちは男女とも屈強そうで映画さながら銃を見せびらかしながら始終オラ付いている感じ(まあそれがお仕事なんだろうけれど)だったのでニヤニヤなんてとても出来なかったのだが、マニラだと係の人がどの人も比較的優しめだったので滞在二日目で既にそんな穿った態度で通ってしまっていた。

そんな態度に罰が当たったのか、格好だけでも浮かれてしまおうと選んだアロハシャツっぽい遊び人スタイルが目を引きすぎたのか、コントリのメインのお部屋のドアマンの人にID提示を求められるという実績を解除してしまった。恐らくはただ首から下げてなかったのがいけなかっただけなのだが。

三日間、入りの時間も基本遅刻していたそんな私にWCA 2025の全容レポートを求めるのは土台無理な話なのだが、私なりの記録としてすでに薄れ気味の記憶を掘り起こして書き出しておこう。

ひとしきり旧知のメンバーなどに挨拶をしてから、一応はCore Editorのテーブルに向かい、とりあえず論理プロパティの現状がどうなってるかを調べてはみたものの、1日でどうにかなる話でもなく、私が動いてどうにかなる話には全く見えず。そんなことより誰がどうやってこの先進めていくんですかね、の気持ちにしかならず。再会の喜び以外では、愚痴というか、大体がため息や苦笑いしか聴こえてなかった気もするのは私の心が後ろ向き過ぎたせいだろう。

去年気まぐれに始めたStorybookの整備の残りをやろうかと思ったけれど、最近活発にコミットしてくれている、恐らく主にインドなど南アジア系の人たちがガッツリ進めてくれており、もうすっかり私の出番ではない様な気がしてそっ閉じした。

もうここには気まぐれコントリビューターの出番が無いのだ。件の決定により、以前よりも格段にPRが溜まり過ぎてレビューが圧倒的に足りなくなっている上に、小さなIssueにもフルタイムでコミットする人が増えている状況で、私のような気まぐれのコミットを書くことが貢献につながるとは全く思えなくなった、というか。冷やかしの、趣味コントリの出番が全く無いように感じられるOSSというのは不健全なように思うが、事実そうなので仕様が無い。そうなるとただでさえ少なくなった企業力に寄らない新規のコントリビューターが居なくなり、多様性が減り、コミュニティがさらに弱体化していくのは容易に想像がつく気もするのだが、それもお金の力でなんとかする気なんだろうか。少なくとも私には、ここから出ていけと言われている様に感じてしまっている。

WordPress(.org)自体が小さな個人サイト向けでは無くなっているように、コントリビュートももう個人の小さな力なんて当てにしては居ないのだろう。だが、そうなると第二のAki Hamano のような奇跡はもう生まれ得ないではないか。でもそれでも良いのだ、これはただのビジネスなんだと言われている様な気がして、どうやっても心が暗澹から抜け出せないでいる。これはすっかりビジネス化したコミュニティだけが齎した結果なのだろうか?ビジネスにしないと成り立たないのはよく分かるのだが、全てビジネスロジックで片付けていって、きっと余白や余裕が無くなってしまったコミュニティには生み出す力や求心力が急速に失われていく。

実らずとも種を植えることを諦めたくはない

そんな中、イチ推しコミッターの人が私のことを憶えてくれていて、少しだけお話出来たのが暗闇の中の救いと言いましょうか。ハイライトだったかもしれない。彼女も当然全くGutenbergにはコミット出来ておらず、交わしたfingers crossedのサインが切なかったが、相変わらず神々しいぐらい素敵だった。テンパってしまって写真撮ってもらうの忘れたなあ…。最新の彼女の機能追加がまた鮮やかだっただけに、最後になって欲しくない。どうにか希望がつながって欲しい気持ちで一杯になる。🤞

そして、ランチがこれまたびっくりするぐらい美味しかった!3日間ともずっと美味しいビュッフェで驚いた。私史上で間違いなくNo.1のWordCampのお昼ご飯。ただし私が行けたWordCampの中で、なので誤解なきよう。友人はギリシャでのご飯も同じくらい美味しかったと言っていたと思う。とても良いことだ。デザイナーが言うセリフではないかもしれないが、こういうイベントでは見た目の会場装飾などよりもしっかりお金をかけて美味しいランチを用意して欲しい。美味しいご飯は色んなものを解決することが多いから。

ドイツのJessicaさんと一緒に食べられたのも嬉しかった。でも、上手くお話が出来なくてなんだか申し訳なかった。WCUS2023の時、私のカタコト英会話を落ち着いてきちんと受け止めてくれ、見かける度に気にかけてくれて真摯に励ましてくれる彼女の人柄に凄く救われたのを私はもちろんよく憶えていたのだが、彼女もちゃんと憶えていてくれて、去年の台湾で再会を喜び、そして今年もまた交流できたのは光栄なことだ。だからこそ、彼女としたい話題、おそらくするべき話題の、WordPressの前向きな話を私が持ち合わせていないことへの後ろめたさがココでも出てきて1人勝手に言葉に詰まっていたのだった。英語力の無さだけでは無かったのは私の中で明白だった。

それでも久しぶりの再会を喜べたのは嬉しかった。ご飯の後で、台湾で知り合ったRenさんと話せたのも嬉しかった。彼はこれまた去年、私の気まぐれで始めた WordCamp.orgでtheme.jsonを使えるようにする話を気にしてくれていて経過を報告してくれた。気まぐれ、とは言っても私にとってはココがWordPressの求心力を取り戻す一つのキーだと思って提案したのだが、案の定、却下されたらしい。今それどころじゃない、というのは大変よく分かるので仕様がないとは思う。全く求心力の無いWordCampのサイトがどれだけの機会損失をしているのかにコミュニティは興味がないのだ、もはやビジネスだから。仕様がないね。WCAのチームを離れた私が解決に乗り出す気も全く起こらないぐらい、すっかりビジネスだから。これについてはもう後はお金で解決してくれ、という気持ちにすらなっている。

しかし、それでも彼のような素晴らしい人材が活躍しているのは本当に嬉しい限りだ。今年はMetaのテーブルリードとして忙しかったはずだが思いがけずしっかり話が出来て光栄だった。

そう、前から知っている日本のコミュニティのみんなは元より、推しコミッターである彼女や、JessicaさんやRenさんのような有能で魅力的で心優しい人達がまだまだわんさか居るこのコミュニティが、やはりビジネスのロジックだけで動いているように私には思えなくて、ずっと混乱しているのだ。これはすでに失われた求心力の残り香のような、レガシーを味わっているだけなのだろうか。それともまだ何か私にできることが残っているのだろうか。

そんな戸惑いの気持ちでぐるぐるしながら、他にも短い挨拶ながら何人かと再会を喜び合った美味しいご飯は活力になってくれて、午後からは日本語がとても堪能なJamesさんにGutenberg のGet Startedを何故か英語で手伝う、という謎の現実逃避?をしていた。英語教師もしていたらしい彼のおかげで私の英語レッスンにはなったのだが彼にとって本当に有意義だったかが心配ではある。午後のそのテーブルでは他でも日本語と英語とちょっとだけのタガログ語と、多分韓国語も?が混じり合い、コアやコアエディターへのオンボーディングを手伝うテーブルになっていた。

たぶん私は懐かしかったのだ。数年前、みんなに教えてもらいながらオンボーディングをした記憶がそうさせたんだと思う。

すっかり存在を忘れていたがこの記事の時だ。これがブログを書いておく利点の一つ。

WordCamp Haneda コントリビュータディに参加してきました \- Photosynthesic blog

もう6年前だった。年月の速さよ。VVVはもう流石に誰も使ってない?よね? @wp-now/wp-now – npmなんて出来る未来、全然想像できなかった。これも作ったのはA8cの人がメインだ。そして去年の秋で止まってしまっている。

それでも、今回でもあのテーブルには同じ様な熱があったような気がする。そう思いたい。直接コミットに繋がらなくても、何かに繋がる熱がきっと。5年後にはまた想像も付かない何かが出来ていると、やっぱり思いたい。

結果、なんにもしていないのに、なんだか疲れ切ってしまって夜はみんなのディナーに交わる元気が残ってなかった。が、代わりに友人とファンシーなプールサイドで大きなお皿にたっぷり乗ったハロハロを食べる、という女子らしい体験は出来たのが良かった。

…どうしよう、ロクにコントリもしてないしセッションも観てなかったので、本番の3日間の記事は1つで済まそうと思っていたのにこんなに書いてしまった。ごくごく少数の真面目な読者に、流石にここから残り2日の内容に付き合わせるのは忍びないので終わるとしよう。


この記事を書いた人