SNSへのラブレター2020


SNSのタイムラインに則って書いてみた。


人が好きでテキストが好きで臆病な私の好きなSNSは無くなってしまった。


SNSをビジネスとして捉えたら仕様がない変化だとも思うが、こんなにまで似てきたものをどう使い分けようか。使い分けを考えないといけなくなる時点でサービスとして駄目なのではないか。


Instagramも、当初はとても美しかった。美しいものしか流れてこない、テキストが邪魔しない、当時のiPhoneの写真機能では表現し得ない芸術性を気軽に足せてログに出来る楽しさ。それをFacebookが買収し、覚悟していた以上に駄目にしてくれて本当にありがとうございました感がスゴい。


Facebookは嫌いじゃなかった。日本上陸時のイベントのTシャツを貰って、それがちょっと嬉しいぐらいだった。先日の片付けの日に捨てようかどうしようか暫し悩んだけれど、部屋着に残している。未練がましいな。


mixiの程良さは疎結合と密結合をちゃんとコントロール出来たことだ。時代もあったかもしれないが、だからFacebookのコンセプトには全く共感できない。同じような機能はあるのだけれど、逐次範囲が広くてしんどいし重い。プライベートをもっと重視して欲しい。最早あまり使いたくないのだが、プラットフォームになってしまっていて、Facebookにだけ面白い投稿をしている友人も居てそれをなるべく逃したくはない。未だうまい付き合い方が分からないのが正に世知辛い。


でも気がつけば13年も続けていて、次が見つけられていない。Twitterでアウトプットをしないでおくのは私にはかなり難しい。そもミニブログだったから、プライベート化する意味が分からない。


私にとってTwitterは、承認欲求を満たすための場ではなかった。しかし、SNSとしてはあんまり認識していなかったものが、どんどんSNS化していってとうとうUIが均一化してしまった。今のSNSは私にとっては息苦しい。新しい人と繋がれること、知人・友人の動向が知れること、お仕事にさえ繋がるし、メリットも沢山あるのだけれど、あくまで疎結合でいい。


自分のためにRTしたり、誰でもない誰かに向けて自分の思考メモを残す場で、インプットを軽く咀嚼してアウトプットしておけてとても心地が良かった。それで許されるというか、放置されていた。ネットはまだ広大だった。


流れていく呟きに自分の思いを代弁してもらったり、違う視点の言葉を発見したりすることの楽しさ。知識欲への刺激。単純に新しい情報をインプットするだけでは無い。雑多な他人の思考をつまみ食い出来るのが楽しいのだ。それまで各自のブログなどにお邪魔するかRSSリーダーぐらいでしか得られなかった体験が、手軽さによってユーザーも増えたことで面白さが加速した。正にミニブログだった。


思いついた大喜利を直ぐに発表出来る場としてTwitterが楽しかったんだな。
WordPress然り、気軽さなんて、やはり端から無かったのだろう。


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